親の立場からの美術大学12 愛が足りない

石膏デッサン

石膏デッサンが停滞中

坊1の第一志望の大学の受験日まであと一か月とちょっと。

今年度は、第一志望の某大学しか受験しない。

一浪しかダメだよって言ってるのに言う事聞かないから、どうせ浪人するなら第一志望一校だけ受けときゃ良いだろってことで。

精神状態は崩壊寸前。(私も坊もw)

まあ、そりゃあそうだろう。

あと1年間予備校通いとか、もうヤダもんな。

あと1年ですめばまだ良いけど、3浪とか4浪とか考えただけでもうんざりよね。

「先が見えない生活。」

その重圧に耐えられないだよね。

・・・・・胃が痛いもん・・・。

そして、自分で自分の首を絞めることに関してはもはや天才的な繊細なガラスの精神を持つ坊1君は、

ただでさえくそ忙しいこの時期、

上手く描けなかったらどうしよう→不安になる→集中できなくなる→描けない、というアホなんじゃないのっている謎のループに陥り、

芸術家の誰もが落ち込むというスランプという名の負のループに陥り・・・・、

ゲホン、ゲホン。💦

・・・・・・いかんな、副音声がひどいわw

つまりそういうわけで(どういう訳だw)

この忙しいのにスランプに陥るという、面倒くさいの10乗くらいの面倒くささだよ、落ち込んでる暇があったらとっとと手を動かせ、時間がねえんだよドアホ~って感じですよ、ゲホゲホ。(# ゚Д゚)

愛が足りない

け、血圧が・・・・。笑

正気に戻って坊の現状をお話しすると、どうも石膏デッサンが上手く行かないらしいのですよ。

時々は上手く描ける。

時々はヒドイ。

つまり、石膏デッサンの出来は運任せみたいなところがあって、それって実力が無いよねって話になる。w

もう、坊レベルになると、持ち帰った石膏デッサンを見せられても「上手い」ってことは分かるけれど、どこがダメなのかは素人には分からない。

すっごい細かい差異で、点数がつけられているみたい。

ただ、私にもこれだけは分かるんだ。

坊の石膏デッサンには「愛が足りない・・・」

「愛が足りない・・・・」

そっとつぶやく私。

それを聞いた坊が、目を光らせる。

「あ、それ、先生にも言われた。お前、実は石膏デッサンが好きじゃないだろ?って。粘土は大好きなんだけどさ」

あ~やっぱりね。

絵心がさっぱりでも、伝わってくるものはあるのです。

不思議なことに「愛」は伝わるんですよね。

萌え絵とかそうだけれど、あれなんか、もはや上手い下手を超えて愛の世界じゃん。

そうだよ、お前に足りないのは愛だよ、愛!

美術が分からなくてもアドバイスはできる

「いいから、石膏像を愛するんだ!」

突然に天に向かって人差し指を立て、大声で無理難題を押し付ける私w

「え~~~~~~」

狼狽する坊。

芸術の行きつく先は、結局愛なのだと、母は喝破したぞ!笑

受験に必要だからやっている石膏デッサンは、先生方のアドバイスを聞いて技術的なものを淡々とやっていれば合格できるはず。

・・・・なんだけれど、見る人はそこに「愛」を見ちゃうのだと思う。

やっぱり、最終奥義は、石膏デッサンを愛することに行き着くのだと思う。

・・・・・愛してますかね?石膏デッサン。

これ、ポイントですよ。

多分ね。笑

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