妥協の数と「?」感

私、喧嘩はしないので

私には、友達がいない。

友達もいないけど、敵もいない。

寂しいといっちゃあ寂しい、起伏のない面白みのない人生である。(´・_・`)

20歳くらいまではこんなんじゃなかった。

誰かをすごく好きになったり、相手のほっぺたを叩くような喧嘩もした。

だけど、50歳を過ぎた今もうすべてが「ま、いっか?」になった。

これを、成熟と言うのか老化と言うのかそれは分かりませんが。笑

自慢じゃないけど、今や私はどんな気難しい上司とでも同僚とでも生意気な新人とでも上手くやっていける自信がある。

だけど、「濃い関係」を作ることはできないし、望まない。

それはどんな人とでも距離感をもって付き合っているので、ぶつかりようも親しくなりようもないってことですよね。💦

夫とも、多分もう10年以上喧嘩していません。

それを知った前職上司が「お前のところの夫婦関係は壊れている」って言いました

「夫婦って普通喧嘩するものだろう?喧嘩しながら理解しあって行くものだろう?」と。

確かに、面倒くさいからって喧嘩を避けている私はちょっと問題ある人なのでしょう。

よその夫婦は、話し合いで物事を解決してきたのでしょうかね。

話し合いで納得なんて無い

私なんか50年も生きている中で、「話し合いでは何も解決しないよね」って身に沁みちゃってます。

かつて夫とはずいぶん喧嘩をしたけれど、話し合いでお互い納得の妥協点を見つけられたことなんか、あったかね?

例えば、マンション。

私はマンションに住みたかった。

夫はマンションが嫌だった。

そして、私は夫に妥協してマンションをあきらめた。

これなんて、互いに納得する妥協点なんて有りうるのかな?

マンションに「住む(夫が妥協)」「住まない(私が妥協)」の、どっちかしかないわけで・・・・。

で、これに限らずほぼ私は夫に妥協したわけで。

なぜなら夫の方がこだわりが多く繊細なので、私が譲らざるを得なかったからです。

なぜ妥協しなければならないのか「?」である

で・・・・。

その上司、結局どうなったのでしょうか。

夫婦で仲良くやっているんでしょうか。

実は、妻から切り出されて離婚したそうです。

上司の落ち込んだ様子が忘れられません。

上司は「話し合いで何でも解決する喧嘩もするけど理解し合っている夫婦」と思っていたのでしょうが、実際は「妻の妥協の上に成り立っていた夫婦」だったことになります。

あ~やっぱりそうなのか・・・・。

ちょっとがっかりしました。憧れてたんですよね、「理解し合える夫婦」。

最近、私はなんだか、相手に妥協するたびに「?」が積もって行くのを感じます。

「なんで私が妥協しなければいけないんだ?」って疑問ですよね。

維持しなければならない関係性なんて、今の時代あるのですかね?

この「?」がマックスになった時、関係性は破綻するのでしょうね、それが夫婦であれ親子であれ。

ずっと続く関係性、それは誰かの「この関係を維持するんだ」という強い意志と妥協の上に成り立っているものであって、それが無くなった途端、一瞬で崩れ去るものだと思います。

・・・・・ってことを忘れてはならないんだと思います。

その関係性の中で生きている人たちは全て。

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