100歳に挑む10 川を見て過ごしたいか

川を見ていた人々はテレビを見て過ごすようになった

突然ですが暇な時って、何していますか?

今50歳になる私は、仕事も家事も育児もない時、YouTubeを見てるかスマホいじっています。笑

趣味は・・・ない。

ちょっと前まではあったんですよね。

でも、貯金しなければならなかったり時間が無かったり、「その趣味やってるなら他にやる事あるでしょ」って思って止めちゃったんですよね。

そのこと自体に後悔はないけれど、

「仕事と家事と育児から解放されたら、一体何して過ごせば良いんだろう?」

って首をかしげるものはありますね。💦

仕事と育児は、必ず終わりがありますね。

家事は?

例えば、体を悪くしちゃってベットで一日過ごさなければならなくなるとか。

そういう時、どうやって過ごせば良いんだろう。

ずっと前、こんなテレビを見たことがあります。

それは、外界とのかかわりを絶った外国のとある部族のお話で、

彼らは現代でも電気を持たない原始的な生活をしており、

大人たちは、日中のほとんどの時間を広場で座って川を見て過ごしています。

その部族たちの村に、電気が通ることになりました。

彼らは、広場に共有のテレビを設置します。

一年後、再びその場所を訪れると、人々は川を見て過ごす代わりにテレビを見て過ごすようになっていました。

今、ここ、この瞬間

日がな一日テレビを見ている生活は、果たして幸せなんだろうか。

誰かの作った、情報を受け止めるだけの時間。

それは川を見ている生活と、何が違うのか。

なぜ、人々は川を見つめていたのだろう?

やる事が無いから。

客人は、川からやってくるから。

子供が川で遊ぶから。

川には「刺激」があるから。

テレビにしろ川にしろ、

暇だから「見ている」それだけなんじゃないだろうか。

結局のところ、趣味も人間関係も、

「暇だから」

そう思うと、人生は壮大な暇つぶしのようにも思えてくる。

人間が常に刺激を求めているのは、実は何も考えたくないからなのかもしれない。

なすべきことなどないのかもしれぬ

今、ここ、この瞬間に留まることは、とても難しい。

すぐに何かの考えが浮かんでしまい、そこに飛びつく。

テレビを見ている間、はたして私たちは生きる喜びを感じているのだろうか。

本当はテレビも川もつまらないし、やらなければいけない事なんてそんなにないのかもしれない。

ただ、何もしないでいると不安だから、

何かで不安を塗りつぶしているだけなのかもしれない。

例えば、ここに立っているだけで幸せである。

そんな、「今、ここ、この瞬間」があれば、

人生はもっと濃密で充足するんじゃないだろうか。

刺激に飛びつくことを止め、濃密な「今」を生きれたら、

それこそが、100歳までに成し遂げたいことではある。

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